佐賀の男性が綴る 子育て等の備忘Log 🐣

【自閉スペクトラム症】【軽度知的能力障害】の子育てを中心に綴った備忘録です。

【新版K式発達検査】の所感と【私】の話

はじめに私は専門家ではありません。

先日、息子が受けた【新版K式発達検査】についての所感をダラダラと書きます。

 

 

◇【新版K式発達検査】を受けての所感

減点法で採点されている感じがしました。出された課題以上のことができても加点はありませんでした。平均的な事をこなせるかのテストに感じました。

「息子はパズルや数字が好きで人一倍です」伝えたら「パズルや数字、回る機構に興味持つのが自閉スペクトラム症の特徴なんです」説明されました。「おうおう、【自閉スペクトラム症】は【理系】の代替語だったんかい!?」って突っ込みたくなりましたw

息子は私と似ていると感じます。

 

私も【自閉スペクトラム症】であろうということ

私も発語は遅かったです、今でも興味のある/なし や 好き/嫌いが激しい、新しい環境に慣れづらいタイプです。

幼児期初期

誰かが家に来るとパニックでした。誰かが帰るまで家の外で泣いていたようです。「早く帰ってー(´;ω;`)」という感じです。

幼児期後期

幼稚園にいる間は、正門で祖母をずっと待たせていました。いないとパニックになるので・・・(;^ω^) みんなと行動することも難しく、一人で文字を書いていたそうです。先生方が好きにさせてくれて良かったです。

学童期

国語の音読の時、人一倍大きい声を出したら、「目立ってるんじゃねぇ」と同級生にからかわれました。空気を読めなかったということでしょう。周りと同じ音量で読まなければいけなかったのです。社会人になっても 【出る杭は打たれる】ことはよくあります。「つまらない風習だなぁ」と思います。

青年期

私は今でも興味があるものとないもの、覚えられるもの覚えられないものがはっきりしています。学生の頃、先生には「興味を持てばできる!」「何度もやれば克服できる!」とよく言われました。興味を持てない、出来ない、克服できませんでした。センター試験(共通テスト)では幼児の頃から公文に通い、塾に通って何時間も勉強した国語は50点/200点 でした。高2まで自学習のみで勉強した好きな 数学は194点/200点でした。「挑戦して出来ないことは出来ないとして、出来ることで対応していけばいいんじゃない!?」と思うようになりました。今、私はそういう風に開き直っています(o´罒`o)ニヒヒ

成人期

大学卒業後、民間企業に就職しました。大きい企業で新入社員500人に揉まれるのはきつかったです。でもいい同期に恵まれたのでしばらく頑張れました。しかし他人とのコミュニケーションにストレスを感じる私には、寮生活は難しかったです。常に先輩、後輩がいる生活、共同トイレ、共同風呂、ネット環境もない生活でした。会社からの「まず会社と一心同体になれ!」という意思は感じましたが、きつかったです。

転職した職場は同期20人くらいの小さい職場だったです、量ではなく借家でしたので快適でした。

 

私は後ろめたさを感じず、好きなことを好きなようにして楽しんできました。息子にも、好きで興味があることに一生懸命取り組んで人生を楽しんでほしいです。