2024年12月27日養父が死去しました。ナーバスな状態と状況で、その状態と状況を綴る必要があるのか悩みました。わざわざ粗暴な文を上げ、残す必要があるのか悩みました。悩んだ結果、簡潔にかいつまんで残すこととしました。一部については冷酷だと思われるかもしれません。
12月27日
仕事納め前日、職場の朝会後、実母からLineで連絡がありました。
「父(養父)が朝方亡くなった。対応は私たちで行うので心配しないでください。」
返事をして、私だけすぐ沖縄へ向かいました。妻と息子は先日顔を合わせていること、ここからの動きを考えると私一人がいいと考えたのです。葬儀場では実父と実母が対応していました。私は担当者に墓地の場所を伝えました。そして実父母の家に泊めてもらうことになりました。
12月28日
午前
私の誕生日。家族葬の7時20分集合に間に合わせるため、7時前に実父母の家を出発しました。集合と言っても式への参加者は私と実父のみです。実母は仕事のため欠席でしたが、おそらくは最期まで関わりたくなかったのだと思います。2人のみの家族葬は、淡々と終わりました。私は養母の葬儀での喪主(養父)の動きを思い出しながら、こなしました。
午後
遺品整理のため実家へ行きました。1週間前に訪れた実家です。かつて二世帯だった養父1人の家は、寂しさを紛らわすかのように物で溢れかえっていました。
12月29日
終日、実家の遺品整理でした。大事なものだけを探し、その後は業者に任せることとしました。そして家は売却することとしました。
12月30日
佐賀に戻りました。着いて気づきました、私の実家はなくなったんだ。
相続について
私が養子になったのは財産や仏壇を継ぐためです。養父や養母から口酸っぱく言われていました。もう1人の相続人である実母もそのことについては承知していました。なので私から提案しました。
「財産は全て半々に相続しよう。」
実母は静かに驚いた様子でした。実母は遺言書があるのではないか、弁護士が持ってくるのではないかと不安がっていました。私は養父は遺言書を作成できなかったのではないかと考えていました。
遺言書はありませんでした。
養子(跡継ぎ)としての対応
名門ぶった養父は先祖代々の土地の収集家でありました。使えない土地でもなんでも必死に自慢げに集め、男児を産めなかった養母を糾弾していたのです。
それでも私を大事に育てた養父への報恩を忘れず、私を大事に育てた養母や実母に対する横暴や乱暴を行った養父への報復を忘れず、対応をしていました。
報恩
- 可能な限りは養父の望むことを行う
- 最期まで私の家族と会う機会をつくる
- 喪主を担当する
報復
- 財産は実母と分割する
- 不動産や農地等は全て売却する
- 仏壇は処分する
後日談
今回の内容は子育てブログとして的が外れた内容だと思っています。不愉快のつまらない内容だったと思いながら書き綴っていました。ただ私の子育てには、私の両親が大きく影響しています。そんな境遇をこの機会にまとめることができて良かったです。