佐賀の男性が綴る 子育て等の備忘Log 🐣

【自閉スペクトラム症】【軽度知的能力障害】の子育てを中心に綴った備忘録です。

妻が入院したからワンオペ育児 1週目

妻が1ヶ月程度、入院することとなりました。前職で発症したうつ症状の治療のためです。以前ほど重度ではないので今回の入院についてはそこまで心配はしていません。

大学生以降結婚するまで一人暮らしだったので、自分一人ならどうとでもなります。ワンオペ育児もしたことはあるので短期間ならどうとでもなります。ただ1ヶ月、年度を跨いでの1ヶ月・・・不安です (;-ω-)ウーン 

 

 

3月18日(月)

ToDoリスト
  • 妻の入院

  • 相続手続きのための印鑑証明書の取得

朝、私は息子を連れて家を出発しました。妻とはしばしのお別れになります。

夕方、保育施設に息子を迎えに行くと担任の保育士より、最近息子がお漏らしをすると報告がありました。息子はお漏らしをしたら担任に報告をしていましたが、最近はお漏らしをしても誰かに気づいてもらうまでトイレで立っていることが多いとのことでした。心当たりを聞かれた私は「妻の入院」を応えました。

家に帰ると息子はママを探すことをせずお風呂に直行しました。就寝前、いつも妻が行っている翌日の登園準備を済ませました。これからの習慣となります。

 

3月19日(火)

ToDoリスト
  • 新年度用品の記名
  • 相続手続きのための委任状を郵送
  • 息子の時間外教室のために早退

 

大きなトラブルなく息子を保育施設へ送りました。昨日忘れていたお迎えの時間を連絡しました。

保育施設での時間外教室(英語)に付添のため14時早退しました。今年度の始めの時間外教室で息子は、立って動き回り、寝そべっていました。外国人の先生に息子について相談した上で教室を受けさせていただいていました。妻の代わりに久しぶりに参加した教室での息子の様子はしっかりと皆と同じように座り、立って動いて課題をこなしていました。外国人の先生へは好感を抱いているようで、教室に入った先生の足に抱き着き、授業が終わるとハイタッチしてお別れをしていました。私は幼い頃、近所の外国人に壁を作っていたので、息子の先生に対する関わりを観て感心していました。

妻が入院前に心配していた使っていない食材(キャベツ・ほうれん草・ブロッコリー・人参・しめじ・マッシュルームなど)を使って夕食を作ることとしました。牛肉を買って夕食はオイスターソース炒めを作りました。時短のためブロッコリーと人参をレンチン、それらと下味つけた牛肉、しめじを油通し、最後にサッと炒め、合わせ調味料を鍋肌から入れて完成。息子が産まれる前を思い出しながら作っていました。

写真1.オイスターソース炒め

 

3月20日(水・祝日)

家に籠っているよりは外出して刺激を受けるのもいいのではないかと思い立ち、児童館へ行きました。児童館ではおもちゃをレンタルして遊んでいました。館内のスピーカーからイベントの案内が放送されていました。息子は耳を抑えてやり過ごそうとしていましたが、ひっきりなしの放送に「帰りたい」と言われたので帰ることとしました。薄々感じていたのですが、息子はスピーカーからの音が特に苦手なようです。

妻が入院して3日目、息子は初めてママについて聞いてきました。

「ママはまだ帰らないの?」

 

3月21日(木)

息子の調子は良い様子でした。保育施設へ迎えに行くとママのために作った色とりどりのグミの工作物を見せてくれました。

私は「お手紙添えたらママ喜ぶんじゃない!?」と提案して、ひらがなを練習する機会を作ってみました。

 

3月22日(金)

ToDoリスト
  • 幼児生活調査票の記入

 

登園して気づきました。終業式でした。制服ではなく体操着で登園させてしまいました。私はこういうことをするので、いつかするだろうと思っていました。まさか妻が入院した直後だったとは・・・。カレンダーにも記入していただけに悔しかったです。

 

3月23日(土)

ToDoリスト
  • スーパー モリナガで買い物
  • ドラッグストア モリで買い物

 

3月24日(日)

さが桜マラソンがローカルのケーブルテレビでライブ放送されているのを息子と見ていました。息子が ”今、本当にマラソンが行われているのか見たい” ということで応援しに行きました。

その後、ゆめタウンで食料品を買いつつ、息子のおもちゃをダイソーで買って、息子にマクドナルドでマックナゲットのハッピーセットを食べてもらい帰宅しました。

夕食は回鍋肉を作って食べました。基本的な味付けは麻婆豆腐と同じようにしました。分量を少し変えつつ、甜面醤と豆板醤、豆鼓を少々、他を少々。

写真2.マラソン応援

 

追記(妻が体調を崩した理由)

養父が亡くなって私がそれらの手続きに対応していた分、妻に子育ての負担が集中したことが原因だと考えています。特に今年度末は定型発達児と比べて、手続きや考えることが多く、妻に負担が集中したと感じています。私たちにとってワンオペ育児の怖いところは近くに頼れる人がいないことです。もし私が突然意識を失ったら、息子を助けてくれる人がいないところです。

 

蛇足

息子がテレビで見たことが本当なのか確認したいと言った時、驚きました。

私が社会人になって間もない頃、先輩から言われたことと同じことを言われたからです。

当時(前職の思い出):

工場の工程を管理していた私に営業から電話でお願いをされました。

「急ぎで納品しなければいけない物があるから生産の予定を繰り上げてほしい。」

私は急いで生産現場に行って相談しました。先輩から言われました。

「営業が言ったことが本当のことか確認したか!?本当に急ぎで、出荷の手配がされているか、物流に確認したか!?もしどうしても繰り上げてほしいということならば、電話での口約束ではなく、メールで一筆もらえ!!」

出荷の手配はされていませんでした。営業にメールをお願いしたら、「じゃぁ いいです~」と電話を切られて終わりました。私は新人ということでなめられていたのです。私のせいで生産現場の予定をグチャグチャにするとこでした。

私にとっては青天の霹靂でした。テレビでCMしている大企業です。ブラック企業という噂もありません。これが会社で社会なんだと驚愕させられた思い出です。

 

 

 

【自閉スペクトラム症】年中・息子のおたのしみ会

2月、保育施設で息子のおたのしみ会に参加しました。おたのしみ会の内容や息子の様子についてまとめます。

 

 

おたのしみ会

登園

登園すると年少組がおたのしみ会を行っていました。その間は息子と運動場で遊びながら、待機していました。年少組のおたのしみ会が終わると、入れ替わりで年中組の子ども達と保護者の入室が始まりました。

私は息子のパンツに不安を覚えつつ、息子と別れました。

私たちは控室で待機しました。準備ができると保育士から会場へ案内がありました。入り口では歌詞カードが配られました。歌詞カードの表面は子ども達によってデコレートされていました。すでにひらがなを書いている子も何人かいて驚かされました。

息子からの歌詞カードには絵が描かれていました。息子の絵について推定するに、(マクドナルドかモンスターボールの)”M”を片手にボール投げ、100点をゲットする内容だと思われます。赤い棒人間が何を表しているのか、赤い棒人間の上になる”H”が何なのかわかりませんでした。それでも息子の創造した物語が表現されていて面白い絵だと感じました。

画像1.歌詞

 

出し物の内容

3つ以上のわらべ歌を歌いながら、手遊びや踊りをするという内容でした。

入場 ⇒ 踊り①⇒手遊び⇒踊り②⇒退場

 

私は息子にとって困難な内容だと考えていました。今年度の運動会で踊りを披露する間、息子は踊りを拒みイヤーマフをしてテント内で待機をしていたからです。

踊り①

入場してすぐ友達と輪になって踊りはじめました。「かごめかごめ」のような内容でした。こちらを伺いつつ踊っていました。

画像2.入場直後の踊り(息子:左から3番目)
手遊び

息子は着席して、歌いながら手遊びを披露しました。

画像3.手遊び(息子:左から1番目)
踊り③

息子は自作の杵を持ち、歌いながら餅をついていました。

画像4.餅つき(左から1番目)
退場

いろいろな障害物に乗り越えながら、行進していました。

退場直前で息子は列をそっと抜け、ステージ上に残りました。その後気づいた保育士が息子を迎えに行き、一緒に退場してくれました。

画像5.退場(息子:左画像⇒手前)

 

自閉スペクトラム症の発現・対応

保育士による対応

息子の近くにいて何か起きてもすぐ対応できる配置にしてくださっていました。

 

出し物の内容について

担任の保育士は運動会の息子の様子を覚えてくれていました。テンポの速いスピーカーからの大きな音が苦手な息子のことも考えつつ、”わらべ歌”を選曲したとのことでした。

そのお陰様で運動会では踊りに参加しようとしなかった息子がおたのしみ会では全ての踊りに参加してくれました。

 

退場時のステージ上での居残りについて

列を抜けステージ上に残った理由は、息子に聞いても答えを得られませんでした。息子の雰囲気から察するに、居心地が良かったのではないかと思います。みんなが見てくれている、楽しかった、もっとやりたかった、そんな気持ちだと思っています。

 

所感

年少時の出し物と比べて難易度がとても上がっていて驚かされました。息子の成長に驚かされました。

そして息子の可能性を十分に広げてくれた保育士の方々への感謝の念にたえません。

 

 

家族葬と相続の開始

2024年12月27日養父が死去しました。ナーバスな状態と状況で、その状態と状況を綴る必要があるのか悩みました。わざわざ粗暴な文を上げ、残す必要があるのか悩みました。悩んだ結果、簡潔にかいつまんで残すこととしました。一部については冷酷だと思われるかもしれません。

 

 

12月27日

仕事納め前日、職場の朝会後、実母からLineで連絡がありました。

「父(養父)が朝方亡くなった。対応は私たちで行うので心配しないでください。」

返事をして、私だけすぐ沖縄へ向かいました。妻と息子は先日顔を合わせていること、ここからの動きを考えると私一人がいいと考えたのです。葬儀場では実父と実母が対応していました。私は担当者に墓地の場所を伝えました。そして実父母の家に泊めてもらうことになりました。

 

12月28日

午前

私の誕生日。家族葬の7時20分集合に間に合わせるため、7時前に実父母の家を出発しました。集合と言っても式への参加者は私と実父のみです。実母は仕事のため欠席でしたが、おそらくは最期まで関わりたくなかったのだと思います。2人のみの家族葬は、淡々と終わりました。私は養母の葬儀での喪主(養父)の動きを思い出しながら、こなしました。

画像1.スケジュール

午後

遺品整理のため実家へ行きました。1週間前に訪れた実家です。かつて二世帯だった養父1人の家は、寂しさを紛らわすかのように物で溢れかえっていました。

画像2.食卓のテレビ・応接間にあふれる物
画像3.地下室・庭

12月29日

終日、実家の遺品整理でした。大事なものだけを探し、その後は業者に任せることとしました。そして家は売却することとしました。

 

12月30日

佐賀に戻りました。着いて気づきました、私の実家はなくなったんだ。

 

相続について

私が養子になったのは財産や仏壇を継ぐためです。養父や養母から口酸っぱく言われていました。もう1人の相続人である実母もそのことについては承知していました。なので私から提案しました。

「財産は全て半々に相続しよう。」

実母は静かに驚いた様子でした。実母は遺言書があるのではないか、弁護士が持ってくるのではないかと不安がっていました。私は養父は遺言書を作成できなかったのではないかと考えていました。

遺言書はありませんでした。

 

養子(跡継ぎ)としての対応

名門ぶった養父は先祖代々の土地の収集家でありました。使えない土地でもなんでも必死に自慢げに集め、男児を産めなかった養母を糾弾していたのです。

それでも私を大事に育てた養父への報恩を忘れず、私を大事に育てた養母や実母に対する横暴や乱暴を行った養父への報復を忘れず、対応をしていました。

報恩

  • 可能な限りは養父の望むことを行う
  • 最期まで私の家族と会う機会をつくる
  • 喪主を担当する

 

報復

  • 財産は実母と分割する
  • 不動産や農地等は全て売却する
  • 仏壇は処分する

 

後日談

今回の内容は子育てブログとして的が外れた内容だと思っています。不愉快のつまらない内容だったと思いながら書き綴っていました。ただ私の子育てには、私の両親が大きく影響しています。そんな境遇をこの機会にまとめることができて良かったです。

 

養父死去の1週間前

ブログを書くぞ!と意気込んだ矢先、養父が死去しました。今回からしばらく養父の死去についてまとめます。

 

 

養父母と私

私は2歳頃、母方の祖父母の養子となりました。理由は、家(仏壇)を継ぐ男性が欲しかったというものです。沖縄ではよくある話です。

それから私は息子として育てられ、私の養父母への想いも実の父母への想いであると思います。だからと言って実父母と疎遠だったというわけではなく、一歩離れたところから見守られているという感じでした。

2020年2月16日の養母が亡くなるまでの養父と養母の関係性は悪くありました。私からすれば晩年仲が悪かった認識でありますが、実母曰はく「あなたが産まれてから養父の乱暴は収まり、乱暴者であることを忘れていた。」ということです。私が結婚して実家を遠のくと同時期に実母と揉めて同居を解消したこと、養母と仲が悪くなったことで何となくの合点がいきました。

図.私と養父母との関係性

 

12月18日

実母より19時頃、電話がありました。

「ヘルパーより、父(養父)の体温が34度に下がり意識混濁としていると連絡を受けた。」

私は妻と相談して翌日、家族で実家へ帰省することとしました。大事な業務が翌日に控えていましたが、無理をしてでも行く必要があると判断しました。

 

12月19日

実家ではベッドで横になった養父とヘルパーがいました。養父は意識混濁でせん妄というよりは昏蒙状態でした。呼びかけには反応せず、独り言を呟いている状態でした。内容は、”沖縄そばには、’そば’と呼んではいけない時期があった。”というものでした。それは私が中学生の頃、養父母と外食に出かけた時に話してくれたものでした。もしかすると養父はそれとは違う場面にいたのかもしれません。でももし家族で食事をしたあの場面を心地が良かったと認識しているのであれば、嬉しいなぁと思っていました。

 

12月20日

養父の様子を見に行くと変わらず意識混濁していました。何度も呼び掛けている内に何とか反応を返すようになりました。次第に意識がハッキリしていきました。家族の呼びかけは良いものなのでしょうか。そうであれば何故、家族を乱暴にして邪険にしていたのだろうか。そうでなければ周りにヘルパーや看護師だけでなく家族もいたのではないだろうか。何年も家族に会わない生活にならなかったのではないだろうか。それとも家族が合わなかったのだろうか。いろいろな考えが反芻していました。

そんな私の前には、家を大事にし家族を大事にしなかった者の晩年がありました。

写真.養父のベッド

 

12月21日

佐賀に戻ることとしました。仕事が忙しいこともありました。養父がご飯を食べられるようになったこともありました。この対面が最期になることを覚悟しつつ佐賀に戻りました。

 

その後

私が佐賀に戻ってからは、養父は食事を完食するまでになったとのことでした。養父がまるで抗っているように思えました。

 

それから1週間後、12月27日 養父は93歳で死去しました。

 

後日談

家族の危篤で仕事を休めたことは良かったです。前職では仕事を休むことは無理でした。

私の妻も息子も死去前の養父と対面できました。息子は今でも養父と会ったこと、死去したことを話します。

私はこれ以上ない対応が出来たと考えています。

 

 

【ペアレント・トレーニング】気になる子を育てる大人のスキルアップ講習を受けて

佐賀女子短期大学により開催された【ペアレント・トレーニング】の講座を受けました。妻が保育施設より紹介されて参加することとしました。受講することで息子のトイレトレーニングのヒントになればと考えていました。

sajotan.asahigakuen.ac.jp

 

 

スケジュール

スケジュールについて以下のとおりです。

※案内の詳細については画像1参照

第1回  9月 3日(日)

第2回  9月17日(日)

第3回 10月 1日(日)

第4回 10月15日(土)

第5回 10月29日(日)

第6回 11月 5日(日)

時間:10時 ~ 12時

画像1.案内

約2カ月隔週で講義がありました。託児室を設けてもらっていたので夫婦で参加することが出来ました。

 

内容

第1回目:講習について

1回目は講習についてのガイダンスでした。

講習は子どもが抱えている課題の解決法を学ぶ内容となっていました。

毎回、前半は講義を受け、後半は子どもの抱えている課題の1つをテーマとしてグループミーティング(個別相談)を行うという内容でした。

私たちは【トイレトレーニング】をテーマとしました。目標を以下と定めました。

  • 補助便座で排泄できるようになる
  • もしくは、おまるで排泄ができるようになる

そして毎日、息子の観察と記録を取ることを宿題として与えられました。テンプレートはありませんでした。

 

第2回目:行動の観察と記録の仕方・グループミーティング

前半の講義では、子どもの行動を変えたいと考えた時に始める観察や記録の方法、またこれらのメリットについての内容でした。

後半は定めたテーマ(トイレトレーニング)についての個別相談でした。私たちはまず記録のテンプレートについて相談し、今回の記録について報告しました。

 

第3回目:望ましい行動を増やすには・グループミーティング

私は息子の看病のため欠席しました。妻からは以下の報告がありました。

講義では【望ましい行動を増やすには】ということで、【強化子】について学んだとのことでした。【強化子】は子どもにとって満足する・楽しい・嬉しい結果・刺激のことで、これを活用することで望ましい行動を増やすことができるとのことでした。

グループミーティングでは、私が事前にお願いしていた ”ごほうびにお小遣いを設けてもいいか” と質問をしてもらいました。

「問題ありません。お金はあくまで ”引換券” なのでシールやお菓子と変わりません。」

との回答だったとのことです。納得しました。

そして、妻から目から鱗が落ちたと以下の報告がありました。

「息子の行動を良くするために時には叩くこともやむを得ないか?と先生に質問するとその考えが間違いであることを諭された」

とのことでした。妻の子育てからは想像もつかない発言に驚愕しつつ、咀嚼しました。

私が叩かない子育てを普通だと思っていたのは、私の両親にそのように育てられただけであってそればかりが普通ではないということ、叩く子育てが珍しくないことに気づかされたのです。

 

第4回目:できないときの手助けの仕方・グループミーティング

講義では、スモールステップによる指導や手がかり・ヒントを減らし一人でできるための方法について学びました。

グループミーティングでは、強化子(お小遣い)を活用することで補助便座で排尿ができるようになったことを報告しました。しかし、排便ができていなかったため排便の促し方をアドバイスいただきました。

 

第5回目:環境の整え方・グループミーティング

講義について大雑把に書けば、保育施設のような環境の整え方について学びました。

グループミーティングでは、排便がオムツでしかできないことを相談しました。先生からは、姿勢を前かがみにしてお腹を軽くさすってみてくださいとアドバイスがありました。

 

第6回目:困った行動をどう考えるか・修了式

講義は困った行動の対処法についての内容でした。その対処法についてのポイントやテクニックを学びました。

そして、努力の甲斐あり修了することが出来ました。

画像2.修了証書

 

受講しての成果・かかったもの

成果

  • 排尿を補助便座でできるようになった
  • パンツで外出できた

この講習を受けることで、今まで遅遅として進まなかった息子のトイレトレーニングをスムーズに進めることが出来ました。もちろん講義で学んだ知識・技術も成果です。

かかったもの

今回かかったものは以下のとおりです。

  • 受講料5,000円
  • 受講するための時間と労力
  • 息子のトイレを毎回記録する時間と労力

受講料については夫婦2人が6回×2時間=12時間を受講できたので格安だと思いました。

時間と労力、これが大きな負担でした。受講するための時間や労力は大したことなかったです。息子のトイレの記録を毎回つけなければいけない、これを2カ月続けなければいけないことが大変でした。妻にストレスをぶつけることもありました。

表.1日の記録例

 

後日談

息子のために息子に学ばせたいことにはよく目が行く私です。息子のために私が学ぶ機会を提案してくれた妻には感謝しています。2人で受講することにより、お互いの子育てへの価値観をすり合わせられました。今回の受講で得た知識と技術を活用し、研鑽して、しっかりと才能となるよう頑張ります。

今回のトイレトレーニングについての記録や状況については後日まとめます。

 

自閉スペクトラム症の4歳息子との沖縄帰省について

ゴールデンウイーク、自閉スペクトラム症・軽度知的能力障害の息子を連れて帰省しました。今回は帰省時の息子への対応等についてまとめます。大まかな内容は昨年と一緒です。

sagabiboulog.hatenablog.com

 

 

息子のために準備したこと と その効果

ホテルへの連絡・相談

ホテルの部屋について、息子の障害について説明し角部屋2階(1階は事務所)を準備してもらいました。また事前に荷物をホテルへ郵送させていただく許可も得ました。

 

事前に荷物を郵送

沖縄で使う息子のオムツや手に入りにくい飲食物などを事前に郵送しました。私たちの着替えなども同梱して、帰省出発時には息子の対応に集中できるようにしました。

 

タブレットの持参・オフライン対応アプリの準備

タブレットは日常において家から持ち出すことはありません。しかし帰省時には移動中や訪問先(両親宅・親戚宅など)での時間つぶしのために持ち歩いています。

オフライン対応のアプリがインストールされていたおかげで移動時間をおとなしく過ごすことが出来ました。音が出せないことに不満はあったようです。ANAの機内にWifiのサービスはありましたが、接続状況は悪かったです。ANA専用のコンテンツの閲覧はできても、Youtubeの閲覧は出来ませんでした。今回、利用したアプリのリンクを以下にまとめます。事前にコンテンツのダウンロードが必要です。「ごっこランド」のみ完全無料です。

 

自閉スペクトラム症の特徴発現と対応について

自閉スペクトラム症の過敏性が主因となっています。わがままに見えるかもしれません。でも息子が不快に思っているのは事実です。不快に対して、どのように回避するか、どのように和らげるか、どこまで我慢するのかを一緒に考えるのが私の役割だと感じています。いずれ息子ひとりで対応できれば御の字だと考えています。

飛行機でのシートベルト着用が困難

内容

飛行機内にてシートベルトを締めた時、息子は「お腹が痛い!」と何度も痛がりました。シートベルトはきつく締めず、むしろ緩い状態でした。昨年もシートベルトを嫌がっていました。

対応・所感

さらに緩めましたが、変わらずでした。タブレットにより集中をそらすことで何とか落ち着くことが出来ました。

 

両親に準備してもらった飲食物を拒否

内容

偏食である息子のために私は両親に普段から息子が飲食している豆乳やプリンを準備してもらいました。息子は両親宅にて準備されたそれらを拒否しました。一度口をつけてから拒否をしました。おそらくはいつものメーカーの豆乳やプリンではない、もしくはいつもの食器と違っていたからだと考えられます。

対応・所感

準備していただいた両親へは申し訳ない気持ちでいっぱいでした。しかしながら息子の「食」へのこだわりについて説明し、承知していただきました(-_-;) 息子の食事は、事前に準備した持参した食べ物で対応しました。

 

暑くて不機嫌

内容

DMMかりゆし水族館に行きました。館内や日なたが特に暑く、しだいに不機嫌となりました。沖縄は佐賀と比べ湿度も高く、私も汗を拭いながら鑑賞をしていました。

対応・所感

息子を抱っこして涼しい場所を探しながら、なだめながら鑑賞しました。

写真.DMMかりゆし水族館

 

宿泊中、家に帰りたいと不機嫌

内容

ホテルの宿泊時、「早く家に帰りたい」と漏らしていました。

対応・所感

「あと何日したら帰るよ。」と説明してなだめていました。私は帰る日を考えたくなかったのに・・・(´;ω;`)

 

息子がいとこと遊んだ

内容

息子はコミュニケーションが苦手です。その息子がほぼ初対面のいとこと遊んだのです。そこにおいても自閉スペクトラム症の特徴が見られていました。

対応・所感

自閉スペクトラム症の特徴である【コミュニケーションの苦手さ】を超えるほどの自閉スペクトラム症の特徴である【感覚探究】が働いたのです。この時、媒介としていたものが【マインクラフト】でした。

 

わった―自慢の沖縄グルメ ♪

今回、帰省時に食べた物をまとめます。

自家製麺木灰そば とらや

tabelog.com

珍しい木灰そばの店です。あっさりしたかつおだしです。

ちなみにこってり系が好きな人は【我部祖河そば】がおすすめです。

写真.開店時・ソーキそば+じゅーしー

 

どらえもん

tabelog.com

こちらは宮古そばのお店です。【とらや】よりは少しこってりしています。国際通りにありますが、観光客が入れづらい雰囲気です ( ̄▽ ̄)

写真.入口への道・どらえもんそば

 

Ricky

r.goope.jp

以前も紹介した唐揚げのお店です。ニンニクの効いた【ブエノチキン】に似ています。

写真.まぎーチキン

 

他にも

他にもいっぱい堪能しました(*'▽')

写真.大平通り商店街
写真.海の見える遊具たくさんのBBQ(エスパーナ)

 

蛇足

5月(GW)の出来事を今更書きました。【マインクラフト】を息子と励んでいたため、まとめるのに時間がかかりました。GW以降書きたかったことがたくさんあったと思うのですが今となっては思い出すのが至難の業です。

 

 

【自閉スペクトラム症】5歳息子の運動会

先日5歳息子が参加した運動会についてまとめます。

 

 

息子からの指摘

保育施設へ向けて出発直後、息子が言いました。

「僕のカバンないよ!?」

「今日は運動会だからカバンなくても水筒があれば大丈夫よ!?」

「でも運動会大きい音あるから、耳(イヤーマフ)ないと僕困るよ。」

( ゚д゚)ハッ!としてすぐに取りに戻りました。登園時のカバンに入っておらずプライベートで使用しているリュックからイヤーマフを取りだしました。息子自身が事前に対策を考え、私たちに伝えられたことがとても嬉しかったです。

 

運動会

会場に到着した息子は、テント内の準備された椅子に着席しました。イヤーマフは先生が前日から準備してくださっていました。(有難かったです・・・)私は息子の補助のお願いがあった場合に備え、テントの側で待機しながら見学していました。以下にプログラムを示します。

準備体操(踊り) ⇒ かけっこ ⇒ 踊り ⇒ 玉入れ(保護者参加型)

 

準備体操(踊り)

息子はテント内でイヤーマフをして見学していました。私は見ました、イヤーマフを少しずらし耳を傾けている様子を。

写真1.踊りを見学している息子

 

かけっこ

先生と私は息子を促してみました。イヤーマフを外した息子の足取りは重く目をつむってはいましたが、参加したい表情をにじませながらゆっくりと列に並びました。列に並んで以降は補助なく走ることまでできました。順番が来て名前を呼ばれて返事することができました。スタート時、担任が息子の傍でおそらくは音に敏感な息子のためにスタートの合図を教えているようでした。

スタートの合図と同時に走り出しました。

内側のコースから2人を抜き、2番手から腕を引っ張られそうになりながらもゴールまで走り抜きました。走り終え、テント内に戻った息子は私に声をかけました。

「勝ったよ!」

「1位だったね!」

息子に返しました。

「うん・・・、あと2人も勝ったよ。」

「2人!?」

「うん、あと2人もゴールできたよ。」

「そうだね。みんな勝ったね」

写真2.促されて列に並ぶ息子

 

踊り

テント内にてイヤーマフをして見学していました。踊りには興味がないのだろうと息子を見ていました。しかし運動会後に息子を自転車に乗せていた時、後ろから踊りで使われていた曲の鼻歌が聞こえた時は危うく転びそうになりましたw

 

玉入れ(保護者参加型)

息子を連れて運動場に行き、応援しながら、応援されながら、玉入れをしました。勝った時はジャンプして喜び、負けた時は冷静に受け止めていました。保護者が玉入れした時はカゴに入った玉の多さに大笑いしていました (´∀`)ケラケラ

一方で、打撲で痛めた私の膝も笑っていました。((((;゚Д゚))))ハヤクオワッテクレ~

 

昨年の運動会との比較

テント内での付き添い(補助)

昨年

登園直後のテント内での待機から運動会が終わるまで終始付き添っていました。

今年

テントの側でいつでも補助できるよう準備していましたが、先生からのお願いはありませんでした。参加できない踊りの時間中もテント内で大人しく見学していました。

 

踊り

昨年と同様、踊ることはできませんでした。

 

かけっこ

昨年

一緒に手をつなぎながら順番を待ち、一緒に走りました。

今年

私の付き添いなく順番を待つことができ、完走をすることが出来ました。

 

所感

別の子の保護具が興味深く撮らせていただきました。(写真3参照)おそらくは視覚過敏の子どものための保護具だと思われます。

息子が「楽しかった!」と何度も伝える運動会には、保育施設の先生や職員の細かい配慮があったんだな、と感謝の気持ちを反芻していました。

写真3.保護具