今回は、先日息子が救急車で搬送され入院したことについてまとめます。
1日目
ケガ
原因は、畳の上のビニールを踏んで転んだことでした。おもちゃを手に持っていて手が出ず顔を強く打ってしまったのです。2~3分経っても口からの出血が収まりませんでした。泣き止みませんでした。病院に連れて行こうとオドオドしながら準備をしていた時、息子を診ていた妻から連絡がありました。
「唇の内側がえぐれるように切れている。」
確認しました。これは縫わなければならないだろうと思い【119】に電話しました。焦っていました。住所が思い出せず卓上の郵便物から読み上げました。
搬送
外で息子の唇にティッシュペーパーを当てながら救急車を待ちました。救急車が到着して車内後部に乗り、状況や経緯を説明をしました。搬送先として3つの候補が挙がりました。
- 佐賀大学医学部附属病院
- 佐賀整肢学園
- 佐賀医療センター好生館
整肢学園に療育のため通院していることを伝えました。すると救急隊員から言われました。
「ケガに関わらなことでも、お子さんについて全てを話してください。」
私は息子が自閉スペクトラム症であるとを伝えました。それだけで息子についてのほとんどを伝えることができました。
- 感覚過敏があること
- コミュニケーションの拙さ
- 偏食の激しさ
搬送先について佐賀大学病院や整肢学園は断られました。しかしすぐに好生館に搬送してもらえることになりました。私は唇を切っただけで救急車を呼んだことを気にしていました。しかし、いくつかの病院を断られてもすぐに搬送先が決まったので、救急車を呼んで本当に良かったと思いました。
治療して帰宅
好生館では丁寧に対応していただきました。そこで唇の内側3カ所を切っていることを知りました。その内の1カ所を2針縫いました。家に帰った息子はいつもどおり食事をしようとしました。しかし唇の痛みや違和感からかできませんでした。この時から一切の飲食を拒むようになりました。スポイトで無理矢理りんごジュースを2~3回入れましたが、すぐに吹き出してしまいました。
2日目
嘔吐
息子はなかなか起きませんでした。8時ごろやっと起きても元気なく飲食は拒んでいました。私は外出して唇の違和感から気を紛らわせようと考えていました。その時、息子は嘔吐しました、何度か嘔吐して緑色の液体を嘔吐して、また寝ました。ようやく私はハッとして小児救急医療に電話しました。その後再び好生館に行きました。
点滴
好生館で点滴を2~3時間受けることになりました。医者からは
「点滴を受け終わったら帰って大丈夫!」
とのことでした。私は聞きました。
「帰って今日も飲食を拒んで同じような症状が出たら、明日も来ていいでしょうか?」
医者はしばらく考えた後、言いました。
「点滴を終え飲料補給が難しければ、入院にしましょう」
入院には付添いが必要でした。妻が即座に付添いを引き受けてくれました。妻は一度家に帰り荷物をまとめ、私は点滴を受けている息子に付添っていました。その後、妻と息子はコロナ感染症拡大防止のためPCR検査を受けました。妻との交代が難しいことを知りました。
入院
ここからは妻からの談です。息子は飲食を拒否しつづけ、鼻にチューブを入れる寸前だったそうです。そんな時息子は大泣きして叫んだそうです。
「イヤーー!!おうち帰るね!!パパ―!!」
これにより息子は口が動くことに気づいたそうです。それからは
「ママ、お腹すいた・・・」
と言い、プリンを食べてリンゴジュースを飲んだそうです。
寝具について、息子のベッド・布団・枕など用意されていたものの、付添いの妻には担架のような簡易ベッドしかなかったそうです(写真2参照)。幸い息子のお気に入りのタオルケットを家から持ってきていたことと息子は枕を使わないので、準備された布団と枕は妻が使えたとのことでした。
トイレや買い出しは、息子が寝ている間に行ったそうです。しかし、戻ってみると意識朦朧とした息子がベッドの際に居て驚いたそうです。気が抜けない付添いだったとのことでした。
3日目
退院
朝、妻から連絡がありました。前日から次第に飲食を要求するようになった息子は、午前中に退院できる見通しが立ったとのことでした。自閉スペクトラム症のため味覚過敏により病院食を食べることができなかったことも退院の理由となったそうです。退院決定の連絡を受けた私は、すぐ息子と妻を迎えに行きました。上機嫌な息子とカレーを食べて、おうちに帰りました。
所感
畳の上で転んだだけで、救急車搬送され、入院まですることになるとは思いませんでした。病院の医師から、飲食を拒み続ける場合は抜糸まで入院になるかもしれないと言われた時はゾッとしました (;´Д`A “` 唇がすっかり治った息子は2カ月経った今でも、唇をケガしたことを話すことがあります。
私は幼い頃、喘息などで頻繁に入院や夜間救急にお世話になっていました。両親には大変な苦労をかけたと沁みています。子育てをしていると両親がどのような気持ちで私を育ててくれたかを知る機会が多くなり、その度に感謝の念に堪えません。